2005-1-27 18:30
第六夜
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならないように、斜に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
風聞運慶(譯注:鐮倉時代著名的佛像雕鑿師)正在護國寺山門雕鑿仁王像,於是於散步時順道繞過去看看,不料在我之前早已聚集了許多慕名而來的人,你一言我一語地議論紛紛。
山門前九、十公尺左右處,有一株巨大的赤松,枝幹橫生,遮蔽了山門的棟瓦,直伸向遙遠的青空。綠松與朱門相映成趣,實為一幅美景。而且松樹的位置絕佳,不礙眼地挺立於山門左端,再斜切山門往上伸展,越往上枝葉幅度越寬,並突出屋頂,看起來古意盎然。想見是鐮倉時代不錯。
可是四周觀賞的人,竟與我同樣,都是明治時代的人。而且大半都是人力車車夫。大概是等候載客無聊,跑到這裡來湊熱鬧。
「好大啊!」有人說。
「這個一定比雕鑿一般人像還要辛苦吧!」又有人說。
「喔,是仁王。現在也有人在鑿仁王啊?我還以為仁王像都是古時鑿的。」另一個男子如此說。
「看起來很威武的樣子。要說誰最厲害,從古至今人們都說仁王最厲害。聽說比日本武尊(譯注:大和國家成立初期的傳說中英雄)更強呢!」另一個男子插口道。
這男子將和服後方往上折進背部腰帶,又沒戴帽子,看起來不像是受過教育的人。
運慶絲毫不為圍觀者的閒言閒語所動,只專心致意揮動著手中的鑿子和棒槌。他甚至連頭也不回,立在高處仔細雕鑿著仁王的臉部。
運慶頭上戴著一頂小烏紗帽般的東西,身上穿著一件素袍(譯註:鐮倉時代的庶民麻布便服)之類的衣服,寬大的兩袖被縛在背部。樣子看起來很古樸。和在四周喋喋不休看熱鬧的人群格格不入。我仍舊立在一旁,心裡奇怪運慶為何能活到現在,真是不可思議。
可是運慶卻以一付理所當然,不足為奇的態度拼命雕鑿著。一個仰頭觀看的年輕男子,轉頭對我贊賞道:
「真不愧是運慶,目中無人呢!他那種態度好像在說,天下英雄唯仁王與我。真有本事!」
我覺得他說的很有趣,回頭看了他一眼,他立刻又說:
「你看他那鑿子和棒槌的力道!真是達到運用自如的境界!」
運慶正鑿完約有三公分粗的眉毛,手中的鑿齒忽豎忽橫地轉變角度,再自上頭敲打棒槌。看他剛在堅硬的木頭上鑿開一個洞,厚厚的木屑應著棒槌聲飛落,再仔細一看,仁王鼻翼的輪廓已乍然浮現。刀法異常俐落,且力道絲毫沒有遲疑的樣子。
「真行!他怎能那樣運用自如,鑿出自己想鑿的眉毛與鼻子的形狀?」我由於太感動,不禁自言自語地說著。
剛剛那個年輕男子回我說:
「不難啊!那根本不是在鑿眉毛或鼻子,而是眉毛與鼻子本來就埋藏在木頭中,他只是用鑿子和棒槌將之挖掘出而已。這跟在土中挖掘出石頭一樣,當然錯不了。」
這時,我才恍悟原來所謂的雕刻藝術也不過是如此。若真是如此,那不管是誰,不是都能雕鑿了?想到此,我突然興起也想雕鑿一座仁王像的念頭,於是,決定不再繼續觀賞下去,打道回府。
我從工具箱找出鑿子和棒槌,來到後院,發現前一陣子被暴風雨颳倒的橡樹,因為想用來當柴火燒,請伐木工人鋸成大小適中的木塊,被堆積在一隅。
我選了一塊最大的,興致勃勃地開始動工,不幸的是,鑿了老半天仍不見仁王的輪廓浮現。第二塊木頭也鑿不出仁王。第三塊木頭裡也沒有仁王。我將所有木頭都試過一次,發現這些木頭裡都沒有埋藏仁王。最後我醒悟了,原來明治時代的木頭裡根本就沒有埋藏仁王。同時,也明白了為何運慶至今仍健在的理由。
運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから、散歩ながら行って見ると、自分より先にもう大勢集まって、しきりに下馬評をやっていた。
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗の門が互いに照り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障にならないように、斜に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中でも車夫が一番多い。辻待をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折って、帽子を被らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着なく鑿と槌を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺をしきりに彫り抜いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子のようなものを乗せて、素袍だか何だかわからない大きな袖を背中で括っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。大自在の妙境に達している」と云った。
運慶は今太い眉を一寸の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪に返すや否や斜すに、上から槌を打ち下した。堅い木を一と刻みに削って、厚い木屑が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾んでおらんように見えた。
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫ってみたくなったから見物をやめてさっそく家へ帰った。
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
風聞運慶(譯注:鐮倉時代著名的佛像雕鑿師)正在護國寺山門雕鑿仁王像,於是於散步時順道繞過去看看,不料在我之前早已聚集了許多慕名而來的人,你一言我一語地議論紛紛。
山門前九、十公尺左右處,有一株巨大的赤松,枝幹橫生,遮蔽了山門的棟瓦,直伸向遙遠的青空。綠松與朱門相映成趣,實為一幅美景。而且松樹的位置絕佳,不礙眼地挺立於山門左端,再斜切山門往上伸展,越往上枝葉幅度越寬,並突出屋頂,看起來古意盎然。想見是鐮倉時代不錯。
可是四周觀賞的人,竟與我同樣,都是明治時代的人。而且大半都是人力車車夫。大概是等候載客無聊,跑到這裡來湊熱鬧。
「好大啊!」有人說。
「這個一定比雕鑿一般人像還要辛苦吧!」又有人說。
「喔,是仁王。現在也有人在鑿仁王啊?我還以為仁王像都是古時鑿的。」另一個男子如此說。
「看起來很威武的樣子。要說誰最厲害,從古至今人們都說仁王最厲害。聽說比日本武尊(譯注:大和國家成立初期的傳說中英雄)更強呢!」另一個男子插口道。
這男子將和服後方往上折進背部腰帶,又沒戴帽子,看起來不像是受過教育的人。
運慶絲毫不為圍觀者的閒言閒語所動,只專心致意揮動著手中的鑿子和棒槌。他甚至連頭也不回,立在高處仔細雕鑿著仁王的臉部。
運慶頭上戴著一頂小烏紗帽般的東西,身上穿著一件素袍(譯註:鐮倉時代的庶民麻布便服)之類的衣服,寬大的兩袖被縛在背部。樣子看起來很古樸。和在四周喋喋不休看熱鬧的人群格格不入。我仍舊立在一旁,心裡奇怪運慶為何能活到現在,真是不可思議。
可是運慶卻以一付理所當然,不足為奇的態度拼命雕鑿著。一個仰頭觀看的年輕男子,轉頭對我贊賞道:
「真不愧是運慶,目中無人呢!他那種態度好像在說,天下英雄唯仁王與我。真有本事!」
我覺得他說的很有趣,回頭看了他一眼,他立刻又說:
「你看他那鑿子和棒槌的力道!真是達到運用自如的境界!」
運慶正鑿完約有三公分粗的眉毛,手中的鑿齒忽豎忽橫地轉變角度,再自上頭敲打棒槌。看他剛在堅硬的木頭上鑿開一個洞,厚厚的木屑應著棒槌聲飛落,再仔細一看,仁王鼻翼的輪廓已乍然浮現。刀法異常俐落,且力道絲毫沒有遲疑的樣子。
「真行!他怎能那樣運用自如,鑿出自己想鑿的眉毛與鼻子的形狀?」我由於太感動,不禁自言自語地說著。
剛剛那個年輕男子回我說:
「不難啊!那根本不是在鑿眉毛或鼻子,而是眉毛與鼻子本來就埋藏在木頭中,他只是用鑿子和棒槌將之挖掘出而已。這跟在土中挖掘出石頭一樣,當然錯不了。」
這時,我才恍悟原來所謂的雕刻藝術也不過是如此。若真是如此,那不管是誰,不是都能雕鑿了?想到此,我突然興起也想雕鑿一座仁王像的念頭,於是,決定不再繼續觀賞下去,打道回府。
我從工具箱找出鑿子和棒槌,來到後院,發現前一陣子被暴風雨颳倒的橡樹,因為想用來當柴火燒,請伐木工人鋸成大小適中的木塊,被堆積在一隅。
我選了一塊最大的,興致勃勃地開始動工,不幸的是,鑿了老半天仍不見仁王的輪廓浮現。第二塊木頭也鑿不出仁王。第三塊木頭裡也沒有仁王。我將所有木頭都試過一次,發現這些木頭裡都沒有埋藏仁王。最後我醒悟了,原來明治時代的木頭裡根本就沒有埋藏仁王。同時,也明白了為何運慶至今仍健在的理由。
人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない。
待て、而して希望せよ。
待て、而して希望せよ。